ENTJ型:生まれながらの指導者
「元気がいい」「議論好き」「たくましい」、この三語がENTJ型を正確に言い表している。
こうした性格があいまって、非常に支配欲が強く、並外れた指導力を発揮する。

ENTJ型にとっては、この世はチェス盤のようなもので、より大きなことのために、自分がその駒を動かすべきだと考えている。

何事にもお互いに話し合い、意見をたたかわせることではっきり見えてくるものだと思っている。

その場合、ENTJ型はまず自分が正しいという前提ではじめ、間違っているなら、議論によってそれを証明しなければならない。

だが、これに対抗する意見を述べる積極性や大胆さのある者がいないと、この証明のプロセスはうまくいかない。議論が終わって、ENTJ型の意見が正しいとなると、このように意見をたたかわせたことで、皆が前よりも良くなったと考える。

ENTJ型が間違っていたとなると、反対意見を強固に述べた者を大いにたたえて敬意を払うとともに、勉強になったと感謝する。

ENTJ型は、ほかのどのタイプよりも我慢が足りない。

それは,短気、些細な問題にいちゃもんをつける、つまらないとすぐ別のことに興味が移る、といった形で表れる。

きわめて自己中心的なので、細かい問題やこみいった人間関係の問題も含めて、自分は何でもやれるし、何でも処理できると思い込んでしまうが、本来はこういった問題は得意ではない。

そこで、そうした問題の処理に「失敗する」と、ストレスやフラストレーションや無気力感が生じ、当の問題よりも、自分を責め、自己批判する。

自分にしろ他人にしろ批判するとなると、ENTJ型の本領が発揮される。舌鋒鋭く、容赦なく、厳しくたたきのめすのである。

ENTJ型はとくに話術に長けている。話し方もはっきりしているし、自分の考えをはっきり述べるので、コミュニケーションの名手である。

ENTJ型は傲慢に対抗し、支配したがるタイプなので、女性の場合はまったく「女らしくない」と見られてしまう。

親などが伝統的な女らしさの鋳枠にはめようとすると、大抵は反抗する。
ほかの女性はENTJ型の女性の傲慢なところに腹を立て、「みくびられた」ように感じる。
そのため、知らず知らずのうちに孤立してしまう。

相手が男性の場合は、いうまでもなく、この問題はいっそう深刻になる。
厳しい要求をし、客観的で、能力があり、自立した性格はとりわけ、大抵の男性から好かれない。

こうした性格がおもてに出てしまうので、本当はかなり面倒見がよく気を配るタイプだということが見えないのだ。

ENTJ型は、怒ってもいないのに、怒っているみたいだといわれて、よくびっくりする。

本人はただ熱心なだけなので、そのように受けとられるとフラストレーションを起こしーそれはまわりの者も同じー怒ったような言い方で、怒っていないと弁明しなければならないという皮肉な状況になる。

こういう態度は、どうやってもむなしい感じになるが、そうなると、いっそう熱弁をふるおうとするか、あるいはやる気を失って、別の問題に移ってしまう。

いずれにせよ、かかわった者皆がくたびれ果ててしまうのである。

天性の指導力と企画力を持っているので、かなり出世が早い。
その途中、疎遠になってしまう人もいるが、それは自分の能力を発揮し、有能なことを証明するためには、払わなければならない代償なのだと思う。
さらに、目標を達成し、自分もほかの人もそれで学び成長するところがあれば、疎遠も無駄ではなかったと考える。

こうした対人関係のジレンマを客観的に分析して、自分が強引だったために傷ついたり、挫折したり、萎縮したりする者がいると知って驚くのである。

だが、議論や競争はみんなが成長し向上するためのものだと思っているので、その議論や競争を、なぜ人が自分へのあてつけだとみなすのか理解できない。

親子関係
ENTJ型の子どもは、威張り散らしたり議論をふっかけることがよくあるものの、友達ができやすく、機転がきいて、人づきあいがうまい。

型はみなそうだが、勉強でも遊びでも、何をするにも誰かと一緒にやりたがる。
友達はENTJ型の子どものいろいろな能カには敬意を払うが、押しつけがましい自信を不愉快に思う。

何をするにも競争心があるので、早いうちから自分の欠点をあら探しする。賞賛されても、それにあぐらをかかない。

最善の結果が出ても、まだもっとよい結果を出せるはずだと思うのである。

いうまでもなく、教師はこうした資質を必ずしも理解しないので、しばしば非常に険悪な状況になる。
そうなると力関係で生徒のほうが分が悪いので、ENTJ型の生徒は、メンツが立たないと、投げ出してしまう。

互角にわたりあって意見をたたかわせるのは楽しいが、教師が力ずくで一方的に押さえつけようとすると、教師との関係がうまくいかなくなる。