ひ と ひ ら の 自 由

 

 

小さなブランコ。

どうしたの。
どうして泣いているの。

かなしいの?

泣かないで。
泣かないで。
泣かないで。

ねぇ、ホラ、花火がこんなにキレイだよ。

………。

ごめんね。

そばに、いて。

離れて、いかないで。

ごめんね。
ごめんね。

泣かないで。

『ヒトヒラノジユウ』

 

『自由に歌える事は幸せだ』と、微笑う人がいました。



『ひとひらの自由』。
2000年12月23日の代々木でのライブにて発表された曲。
当初は、音源化さえも決まっていませんでした。
“せめてもの、この曲に対する餞”として、有料サイトに歌詞とライブ音源が掲載されただけの。

タクロウの、涙混じりのMC。
『HEAVY GAUGE』という冠を掲げたライブの最終日、彼の言葉が胸を貫いた。

「どうして俺の大好きな人達は、みんな俺を置いていくんだろう…」

泣いてたんだよ。
おっきいカラダをちっちゃくして、ポツンと、うずくまってたんだ。

そんなタクロウを見ているだけしかできなかったのが、どうにも切なくて。
そんなに辛かったんだね。気付かなくて、ごめんね。
何とも的外れな想いで、ただ見つめ続けてた、初めて聴いた瞬間でした。

それから月日は流れ、自分の誕生日記念にと、『THINGS〜』に、この曲の解釈を載せました。

『もう俺は大丈夫だから…今度は俺が大丈夫だと言ってあげる番だから』

あの日、タクロウさんはそう呟いて、悲しそうに微笑っていました。
だけど、あんな表情…仕草をされて、大丈夫だとはとても思えない…それが、私の感じた事。

Don't worry...と、切に訴えかける声。なんか、既に“音楽”っていう枠を超えてたよね。

載せた文の他に、もうひとつ、ずっと心にしまっていた解釈がありました。
それは、月日を重ねてゆくごとにどんどん深いものになっていって。
でも、伝える勇気が持てなかった。躊躇い続けていたというか。

ドームツアー開始。
EXPOでも歌われ、今回もライブの核として毎回中盤に歌われてます。

12月24日福岡ドーム。
「ええい!書いてしまえ!」と吹っ切れた(笑)。
とにかくもうなんだかわけわからんくらいにとてつもなくスゴイ歌になってた。
EXPO以上に、代々木以上に。

『周りを見たら、誰もいなくなっちゃってた』
タクロウさんの嘆き。
共に闘ってきたバンドの解散が相次いだ2000年。

自分達は何がどうなっても続けていこうと決意した矢先の悲しい出来事。

“幕張以後”のGLAY。
非常に不安定でした。これから先どーなるんだろう…どう転んでもしょうがないな。
“夢”を叶えた後に襲いかかった虚脱感。絶望。諦観。
『手にしているものを全部持ち続けていくのは、虫がいい話』と自嘲的に話していたインタビュー。

タクロウさんは、その現実に打ちひしがれながら、『GLAYは死んだ』、と。
ジョンの言葉で喩えるなら、“夢は、終わった”。

一時休止や解散も視野に入れて、話し合いを繰り返した99年暮れ。
けれど、活動続行を選び、翌年には100本を数えるツアーを敢行。

『ステージの上の俺を待ってくれてるみんなに「ありがとう」と伝えたい』(オフィシャルサイト)

“夢”を超えて、それでも何かを犠牲にしながら生きて(歌って)いく。

『生きがい』という歌。
救いが何処にもない歌。

『サヴィルロウ』という歌。
自分のに救いを見つけた歌。

『俺は、GLAYを続けていられれば、それでいい』(99年秋・bay-FM)

『10年後もGLAYやってる。一人になっても、一人でGLAYやってる』(01年夏・FM-yokohama)

タクロウさんの願い。

“疲れ果てた僕は今 死にゆく日を思い尚 あなたの心癒そうと今日も叫ぶ”

“いつの日か僕に全てを癒せるような歌を作る力をくれ…”

何を癒そうとしていたのかな。
いや、ソレは歌詞読んだ瞬間にピコピコピーンだったけど(笑いに走るな自分)。

そして、『ひとひらの自由』を発表。
『ひとひら』までの道のりが…何かすごく(ああ、そうなんだな)と納得できるんだよね。
すっごい何様街道突っ走ってる解釈なので、反論は承知の上で御座います(だから書かなかった)。

タクロウさんのコーラス。
ツインボーカル並です。この曲に限っては。
そして、何故だか泣ける。押し潰されるようなパワーがステージから来ます。
この曲聴くためだけに、ドームに足を運んでいる自分がいるのも事実。

『軌跡の果て』って曲、あるよね。
地獄の底を這いずり回ってるような歌詞の。

『惨めで切羽詰ってて、どうしようもない時に作った歌。だけど、てるに救われた』
『そんなに悩んでるんだったら、俺が励ますよ』

今やもう語り草ともなっている、『軌跡の果て』のエピソード達。

血の涙をこぼしてるような歌詞。
励ます気持ちで歌ったてっこの歌声。
タクロウさんが何よりも欲していた事をしてあげた。

メンバーが悩んでいる時も、「大丈夫だよ」って励まし続けてきたてるさん。
「どんな時も、てるが『大丈夫だよ』って言ったら、全て大丈夫なように思えた」と尚さん。

“今度は俺が『大丈夫だ』と、言ってあげる番だから”

『ひとひらの自由』は、タクロウさんからてるさんへの、『大丈夫だよ』っていう励ましではないかと。
何が大丈夫なのかは分からないけど、でも、励ましたい気持ちって誰もが持ってる。

顔の見えない不特定多数の励ましは嘘っぽいけど、同じ事に笑って、泣いて、ずっと時を共にした…。
そういう仲間だからこそ、だと思う。PATIPATIでも言ってたけど。

『軌跡の果て』の時は、てるさんからの「大丈夫だよ」っていう気持ち。
『ひとひらの自由』は、タクロウさんからの「大丈夫だよ」っていう気持ち。
気持ちと、気持ち。音楽って、人と人との繋がりってそういうもんだよね。

なんか、99年末の彼らが思い浮かびます。
行くトコロもない、どこに行けばいいのかも分からない。
幕張を終えて、他に目指すものがなくなってしまった頃を。

それでも、GLAYを続ける…歌い続ける事を選んだ事。

『ただバンドをやっていたい。その為なら頭も下げるし、作り笑いだって大した事じゃないんだ』

その願いの為に、何処かで誰かが泣いているんだとしても。
普通の幸せから遠ざかってゆくのを止められない。

花火って、綺麗だけど、すぐ消えるよね。
すぐ消えてなくなるから、心に残って綺麗に思えるんだろうな。
すぐにいなくなってしまうから。

許しを乞う。

有栖川公園。
そんな痛ましい情景が、悲しいくらい浮かんでくる公園です(カラスに注意)。

タクロウさんの叫び。

『僕はあまりにも多くの何かを失い過ぎて、何も感じなくなるギリギリの場所に立っていたんだと思う』

相次ぐバンドの解散。
悲しい現実を目の当たりにして、自分の未来と重ね合わせたんだろうか。

愛を乞いながら。
許しを乞いながら。

僕の前からいなくならないで。
僕を置いていかないで。
ずっと、そばにいて。

消えないで。

そうして、あの寂しい公園に2人きりでいたんだろうか。

“当たり前”の事が、脆くも崩れ去る事を知っているから。
絶対の力が、何もかもを奪っていく事を知っているから。

だけど。

ドント・ウォーリィ。
大丈夫だよ。

やっと、そう言える…言ってあげられるようになったんだなぁって。

『“大丈夫だよ”って言ってあげられる器が欲しくて』

許し合う事。
全部を認めてあげる事。

12月24日の『ひとひらの自由』。
もう…なんかね…“歌”じゃなかった気がする。
タクロウさんとてるさんの心がザックリと開いてて、それを見せつけられたような。
生々しいを超えて、それ超えた上で、とてつもなく、尊かった。

ラストの、張り裂けそうなてるさんの声に、タクロウさんの声が重なるトコロ。
いつも、心が割れそうになります。

聴いた人全員の、『励ましの歌』になった。

振り返らない。
命を賭けて、手に入れた自由。
泥まみれの、傷ついた心を抱えて。

『自由に歌える事は幸せだ』と、微笑う人がいました。

20020115