W i n t e r , a g a i n
思い返せば98年初冬。
っていうか、11月中旬。“BE WITH YOU”が発売される前(笑)。
インパクトのあるメロディー、何処かで聴いた事のある声。
『愛に雪、恋を白』がキャッチフレーズのCM。
JR東日本のCMでした。
別のシングルが発売前にも関わらず、こっちのがガンガン流れていたのを鮮明に覚えています(´ー`)。
そして、ここでひとつの小話。
このCMが流れるたびに、真っ赤になった私の顔面(///)。
自分でも止められない、意識すればするほど真っ赤になっていった私の顔面(/////)。
まったくもって完璧なほどに、パブロフの犬反応をやってのけました。いやー懐かしい18の頃(笑)。
あの頃を知っている友人や家族は、現在の私の廃れ具合に驚いながらも肩を叩いてくれます(TーT)。
そんな私めの個人的想ひ出は良いとして。
GLAYの代表曲ともいえる、"Winter,again"です。
さぁさぁ落ち着いて深呼吸(´3`)スーハー。
レコ大受賞曲ですよ。
厳寒の幕張で、みんなで万歳したんですよ。
裏事情が目を覆うものだったんだとしても、あん時の嬉しさはホンモノの嬉しさだったですよ。
まぁ、そういうものは往々にして後から付いてくるものなので、いいのですが。
初めて改めて聴いたのは、98年暮れぐらいでした。
いきなりテルミーかなんかで「新曲でーす」と流された『Winter,again』。
ああ、思い出してきた、98年最後の放送かなんかで、「ようやく昨日、タイトルが決まりました」と。
ライブでの照明が印象に残ります。
ステージから客席へ放たれる、まっしろなひかり。
メンバーにすら照明は当たらずに、ただただステージから客席への幾重の白い光がとっても綺麗。
いやぁ、たっくさんこの曲とは想い出があるっすよ(´ー`)。
99年は、この曲で始まり、この曲で終わったよね。ほんとに。
最初は、99年元旦のテレ朝の歌番組でTV初披露。
99年の最後のシメは、レコ大でこの曲を歌ったな。
もちろん、厳寒の幕張でのカウントダウンライブがあったのですが。
『99年、GLAYは過渡期だった』
今でもよくタクロウさんが口にする言葉ですが、その過渡期を耐えた曲、というイメージがあります。
発売日、キラキラ光る雪が降ってた事を、今でもハッキリと憶えてる。
そして、ひどく複雑な想いを抱えながら、でっかいでっかいポスターを抱えて家路についた事も。
それ以外は、あまり記憶が定かじゃない時期でした。とりあえず、激動の日々だったような。
PVも傑作。
編集切り貼り一切無しの一発撮り。
イントロからアウトロまで、1台のカメラと1本のテープのみです。
北海道、美瑛町。
クリスマスのちょっと前に撮影、撮影の合間、メンバーはテルミーBBSに遊びに来てたりしてたっけ。
広大なジャガイモ畑(笑)、白銀の雪が覆い被さった大地に立って歌われたPV。
曲の世界観が見事に表現された、大好きで大好きな作品です。
冬。
凍てつくような厳しい寒さ。
なんていうか、GLAYさんだからこそ作れる曲。
仮歌詞はてっこさんが書いたんだっけ?
それは『BE WITH YOU』だけでしたっけ?(汗)
Aメロは、うどんがどうのこうのっていう歌詞だったような(笑)。
そして、仮タイトルは「しゃっこい雪」でした(Hahaha)。
その後だかは分かりませんが、たっくんが書いた仮歌詞も何処かでちょろっと見る事ができました。
なんか、使われてる言葉がすごかった。
「いみじくも」とか、「臥牛を見上げて」とか(「臥牛」とは、「函館山」の別称です)。
とりわけこの詞はちょっと古い小説とかの文語表現が使われてて、そこが逆に新鮮だったりするのですが。
こんな批評を見つけました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hag02041/jpop.html
まぁ、『ROCK ICON』とか『週末の"Baby Talk"』みたいな詞もあるんだけどね>批評してる人。
イントロがものすごく綺麗。
たっくんが手の大きさをいかして頑張ったらしいメロディー。
ひさしさんじゃ手が小さくで届かないみたいです(わああ)。
そして、佐久間さんが真っ赤な顔をして吹いたという(笑)、ケルンの響き。
映画『タイタニック』を観たたくろうさん、サントラのあんな感じを表現したかったとか。
ギターにしろ、ケルンにしろ、どっちもすっごい"独"というか、"個"というか。
決して交わってないんだけど、交わってるような。おおおおう難しい。
絶対の"個"、こころが凍えるような、そんなイントロの序盤だと思います。
んで、ドラム、ベース、コーラスが一気に入ります。
このコーラスとケルンの絡まり具合に、今でも切ない切ない気持ちになります。
てっこさんのファルセットのコーラスって、不思議なんだよねぇ。
何とも風の音みたいっていうか、そう、風の音と質感が似ている。
んあああああ、言葉なんかじゃ表現できないよ。ヾ(`Д´)ノ
イントロで歌の世界に一気に入ってゆけるね。
しんしんと静かに降り積もる雪、ただ、降り続ける雪。
時として激情のような吹雪に姿を変えたりもするけど、それでも降り続ける雪。
タクロウさんは、「原点回帰の歌だ」と言ってました。
そして、「"pure soul"の最終局面の歌」だとも。
"原点回帰"にして、"最終局面"。
ここに、この歌の根底にあるテーマが潜んでるんじゃないかと。
原点っていうのは、音楽以前の"原風景"だとも言ってました。
生きてる人間を中心にしてきた手法とはうって変わって、函館の一枚絵のような風景から。琢:「ロックの心が宿る以前の…親も自分よりずいぶん背が高かった頃から出発した曲ですね」
無口な群衆、息は白く、歴史の深い手に引かれて
詞の始まりは、たっくんの言葉のまんま。
白い息を吐きながら夜道を足早に歩く2つの影。
歴史が深く刻まれた手を握り返して、白い雪の舞う暗い道を歩いていったんだろう。
保育園からの帰りかな、迎えに来てくれたおばあちゃんか、お母さんといっしょに。
幼い日の帰り道、凛と鳴る雪路を急ぐ
『凛と鳴る雪路』。
あんまし"凛と鳴る"っていう感覚は、埼玉育ちゆえ分からないんだけど。
分からんけど想像は出来るです。
というか、ワンラブドームツアーの札幌公演。
アレで分かりました、生死に関わるかもしれないっていう寒さ。
頬が強張るほどに張り詰めた、凍てついた空気。
街灯の下ひらひらと、凍える頬に舞い散る雪
目を閉じれば昔のまま、厳しくも日々強く生きている者よ
街灯の下で降ってくる雪を見上げたことがあります。
夜、そこだけ雪が降ってるよう。見上げれば、自分に目掛けて降ってくる冷たいかけら。
時を経ても、手に引かれて雪道を歩くことはなくなっても。
昔のまま、変わらぬまま、厳しい冬に立ち向かうようにして生きる人々。
ドラムの「カツカツ」という音が印象に残るAメロ。
うねるようなベースが呟くように歌うヴォーカルを支えてます。
ギター陣は、『無音の中の音』に重点を置いたそうです。
間の音というか、もう侘び寂びの世界なのですが(汗)、それが上手く成功してる。
しんしんと音も無く降る雪が、温度と共に如実に頭の中でイメージできる。
いつか二人で行きたいね、雪が積もる頃に
生まれた街のあの白さを、あなたにも見せたい逢いたいから、恋しくて、あなたを想うほど
寒い夜は、未だ胸の奥、鐘の音が聞こえる
この曲に限らないんですが、タクロウさんはしばしば句点を歌詞に付ける癖が。
「、」のことなんだけど、他の人にはあまり見られないスタイルだな、と。
意図的にだと思うですが、なんとなく一呼吸置いて意味が強調されるような効果があるよね。琢:「"逢いたい"とか異性に対する感じの歌詞が表現されてるけど、それは表面的なことで、根本としては自分の
過ごしてきた一時代を切り取った曲なんですよね」
これがタクロウ節。
どれもこれも恋愛の歌のようだけど、実は違う意味を恋愛調の歌詞に込めてるのが多いっていう。
それにしてもローマンチックなフレーズですのう(*´_ゝ`)。
「逢いたいから、恋しくて」…。
「逢いたくて〜恋しくて〜泣きたくなる夜ぅ〜」……。
……『雪国』か……(シッ)。
自分の過ごしてきた一時代。
それは紛れも無く生まれた街、函館での日々。
「鐘の音が聞こえる」。
この後、ほんとにリンゴーンと鳴ってる鐘の音が入ってるような。
函館山の麓に、ハリストス聖教会という由緒ある教会があります。
ちょうど夕方の6時に教会周辺をウロウロしてたら、リンゴーンと鳴って感動。
「おおおおおウインターアゲインだよ!」と、不思議な既視感に襲われました。琢:「今までの曲は全部欲求としての歌だと思うんです。それは孤独に対する喪失感を埋めたいって曲だったり、
相手の愛情を欲しがる歌だったりで、欲求からの歌から出発してるけど、これはちょっと違う…。
ロックを超えて広い定義での音楽の高いところへ行きたいっていうか。だから、この曲=自分の歴史とか、
生きてくさま、それが出たかなって」
↑のインタビュー、核心かもしれまへん。
『この曲=自分の歴史』…、『Winter,again』の根底に流れるテーマは、これなんじゃないかなと。
もちっと掘って掘って掘り下げて、『無常=形あるもの』というか。
むしろ、『無常と人の生』みたいな…ウッヒョオオオオ!!!!深遠なる事柄でヤンスな!!!!!(◎Д◎;)
この曲=自分の歴史と呼ぶなら、彼はものすごく静かな目でこの世の移りゆくよしなし事を見つめてる。
無常。
すべての事象は、永遠ではないということ。
すべてのとは、人の気持ちの変化もあてはまる。
そして。
生老病死。
この世に生を受けた誰もが逃れられないのが、死。のしかかる雲を見上げて、時の速さの流れに問う
誰もが抱く悲しみの、終着駅は何処にあるのか
…こういう詞を当時28歳の人が書くとは。
なかなか思えるもんじゃないし、"悲しみの終着駅"っていう表現が凄い。参った。
「時の速さの流れ」と「時の流れの速さ」。
順番違えるだけで意味が変わってくるものだね。
というか、「時の流れの速さ」ではないのかと思い続けて4年です(;´Д`)。
「誰もが抱く悲しみ」…タクロウさんは幼いころから味わっていたんだろか。
"孤独"のことなのかなー…この場合、『人間誰もが持つ、逃れられない孤独』とでもいうのか。
「時の速さ〜」は、その後の「誰もが〜」にかかる。
時がどんなに流れても、悲しみも続くだけで決して癒されはしない。
何処まで行けば、この悲しみが消える場所に辿り着けるの?
陽だまり、暮れる坂道で、若さの幻と出逢い
<元気です>の一言に懐かしさよりも、戸惑い立ち止まる
夕暮れの坂道。
既述のハリストス聖教会などがある坂道。
ほんとに夕暮れのあの場所は、もの悲しくも、いつでもタイムスリップできそうな雰囲気があります。
若さの幻。
たぶん、タクロウさんの小さいころと、坂道の風景は変わってないと思うんだ。
だから、一瞬にして昔の自分に戻れるっつか、かつての自分を確かめることができるような。
まともに捉えると、非常にアレな部分なのですが(汗)。
<元気です>と語りかけたのは、10年前の自分自身かな。
タクロウさん、98年当時「10年前の自分に、今の自分を誇れるか?」と悩んでたから。
で、懐かしさよりも、戸惑いが先に立ってしまって立ち尽くしてしまった、と。
それも、自分の歴史。
過ぎ去りし世に揺れる華、遠くを見つめていた
冷たい風にさらされた、愛はあの日から動けないと
過ぎ去りし世に揺れる華……仇花。
変わり続ける世の中に置き去りにされた愛。
冷たい風に吹かれたまま、あの日のまま、動けずにいる。
瞳の先に映るものは、ずっとずっと遠くにあるもの。
切ないね。
そして、『Winter,again』の核の部分へと。
ここのコーラスが寒さ倍増でとても好き。
コーラスがあるのとないのとでは、全然温度が違ってくるんだなぁ。
降り続く白い雪は、心模様、そっと
滔々と白い雪は、無常なる人の世を
すべて許すように降り続いて行く
白い雪。
地上の汚れを全て包み込むように舞い降りる白い雪。
ひらひら舞い落ちる雪を、心情に重ねて。
滔々と降る雪。
雪は、一帯を無音状態にさせる。
覆い被さって音すら聞こえなくさせてしまう。
無常なる人の世。
永遠を信じるのは難しい世界。
けど、逆に言うならば、変わり続けるという事が、永遠なのではないでしょうか。
悲しみが辿り着く果ては未だ見えなくて、孤独は一層影を増す。
ほんの少しの間で溶けてしまっても、時間が経てば消え失せるものでも。
一瞬でも、心も真っ白に清められたような気持ちになれる。
生まれたばかりのような。
原点回帰。
それは、永遠への回帰であるのかもしれません。
何度も何度も自分の歴史を確かめて、いつでも戻れるように。
逢いたいから、逢えない夜には、あなたを想うほど
想い出には、二人が歩いた足跡を残して…
逢いたいのは誰。
誰に逢いたいんだろう。
小さいころの自分。
今はいない、自分の周りにいた人達。
そして、今まで出逢ってきたたくさんの人達。
タクロウさん自身が歩いた足跡を辿る旅が、『Winter,again』。
ということは、自分自身にも逢いに行きたいのかな。
若かったというか、未だ何も知らなかったころに。
もう一度見つめ直して、それらを全部受け止めて、次の一歩を踏み出したかった。
それが、原点回帰したかったひとつの理由だったんだと思います。
タイトルから、無常そのものなんだよね。
『Winter,again』…『冬がまた巡ってくる』。
季節は必ず移り変わり、冬が終われば確かに春が巡ってくる。
春が終われば、夏。
夏が終われば、秋。
そして、また冬が訪れる。
繰り返し、繰り返し…まるで永遠のような。
無常の中に、すべてが存在する。
春夏秋冬も、その流れの中にある。
私達の生きる世界も。
そんな時の流れに呆然と立ち尽くす人々。
一定の年齢を過ぎたとき、待ち構える何かに気付くものなのかも。
てるさんのヴォーカルは、ラストに向かうにつれて激しくなる。
もどかしさを出し尽くすみたいに、どこまでもキーが上がっていく。
変わってゆくものだと知りながらも、それでも戦いを挑むような。
どこか冷めつつも、段々と感情が露になっていくヴォーカルが聴き所だと思います。
『Winter,again』。
発売されてから、4度目の冬が巡ってきました。
これからも、何度も、何度も。
訪れては、去っていく。20021117