決断のくだし方が違う相手とうまく付き合うには


悪くすると、(思考)型は(情緒)型をいいかげんだと思い、型は型を冷たいと感じる。
だが、うまくいけば、型はどんな状況でも客観的な決断をくだし、型はその決断の影響を受ける人がそれをどう受けとめるかに気を配る。
ただ、内輪の問題になると、型と型はすれ違い、マイナス感情を持ちがちで、問題は解決せず、双方に不満が残ることがきわめて多い。

思考()型と情緒()型の決断のくだし方


子供が車を使いたいと言ったときの、形の父親と型の母親の決断のくだし方を見てみよう。
十代の娘が金曜日の夜のパーティーに行くのに車を使うことは、一週間も前から決まっていた。
ところが、あいにくの大雪になり、道路状態が良くないという新しい「データ」で、考え直さなければならなくなった。
このとき、同じ結論に達するにしても、型と型では決め方が違ったり、同じような決め方をしても、まったく逆の結論が出たりする。
型と型の特徴が表われるのは決断をくだすまでの道筋なのである。


車を使うことに賛成の場合

型:


今度のことから親子ともに学ぼう。子育てで、親は一か八かやってみることを学び、子どもは責任のとり方を学んで成長するものだ。
これは娘がこの家から出ていくときの子離れの練習になる。私の計算では、ここはリスクよりも、ともに学ぶ体験から得るもののほうが大きいと思う。

型:


自分の気持ちを無視して車をむやみに取りあげられたら、わたしはいやだわ。
娘だって「車で行こうと思っていたのに、お友達に乗せていってと頼まなければならなくなったら、きまりが悪いでしょう。
わたしが娘だったら、がっかりしてしまうわ、きっとそうよ。
わたしはとてもそんな鈍感にはなれない。


車を使うことに反対の場合

型:


親というのは骨の折れる役目で、むずかしい決断をしなければならないことがある。
いつもみんなの気に入るような決断ができるわけではなく、ときにはいやな思いをさせることがある。
だが、「好かれる親」だけがわたしに求められている役回りではない。
親として、それなりの手本を示し、みんなのいちばんためになるような責任ある決断をくださなければならない。

型:


自分が十代だったころを思い出すわ。愛しているからこそ、いつも思いどおりにさせてやるとは限らないのだと親にいわれたものよ。
そのときはがっかりして傷ついたけれど、ショックから立ち直ったら、わたしにとっていちばんためになるように考えてくれていて、わたしのことを心配してくれたのだと実感したものだわ。
今度のことも、愛しているからこそ、車を使わせるわけにはいかない。

この例では、型は客観的で距離をおいてみているが、型は完全に巻きこまれている。
両方とも心配し、考え、感じているのだが、最終結論に達する道筋がきわめて異なるのだ。

問題解決



型:感情を正直に表しても許してあげる。


型は職場で誰かがわめくと、よそよそしくなる。
好意を示したり、温かい言葉をかけても、やはり距離をおこうとする。だが、職場に限らずどこでも、こうして感情を表すことは対立の解消と裏表一体である。
たとえ自分は感情をおもてに表せなくても、ほかの人には自由にそうさせてやるべきだ。

型:率直に反論せよ。


自分の本当に言いたいことを言っても、それが反対意見でも、この世の終わりになるわけではない。
こんなことを言っては耳ざわりではないかと思っても、ほかのタイプの相手ならそれほど不快には受けとらないもの。
それどころか、率直に言ったことを評価し敬意を払ってくれることもある。感情をむきだしにしてしまっても、謝ったり、悪いことをしたと思うことはない。
自分の気持ちに率直になることが、建設的な解決を促すことになるのだ。